変化を恐れず、時代に適応しながら、
約140年の歴史を
脈々と紡いできた私たち。
これまで、どんな出来事を経験し、
そのなかでなにを培ってきたのかを
ここで紹介させていただきます。
ダイジェスト版
店舗は日本橋、作業所が京橋にありました。当時日本の眼鏡業界は、鏡やランプなどとの兼業が多く、眼鏡は既製品を販売していた程度でした。
この頃より時計を扱いはじめましたが、「眼鏡を以て世にたち東洋一の眼鏡王とならんとの希望を起こす」と一夜のうちに決心。翌日時計全部を売却して、純然たる眼鏡店に変化しました。
時代が明治から大正に変わり、鉄道、電気の発達は目覚ましく、新たな文化として写真、洋服、靴などが欧米から続々と入ってくる中で、欧米の眼鏡事情を学ぶ構想を練りました。
関東大震災により店舗焼失。震災後の店舗再建には、最先端の眼鏡技術習得が不可欠とし米国留学を計画します。
こうして大正時代の15年間を海外に眼を向け、実態をリサーチすることと、新しい眼鏡技術の導入に費やします。
欧州で見てきた構想をもとに数々の最新建築を採り入れた当時最先端の店舗を完成。
当時の最先端を走り、名声を博した京橋本店が百貨店に目され、日本橋髙島屋と伊勢丹新宿に眼鏡売場を開設。百貨店眼鏡売場開設は金鳳堂が最初の企業となります。
東京大空襲により銀座店焼失。
京橋本店は戦時特別措置により撤去となる。
戦後は、奇跡的に戦災をまぬがれた日本橋髙島屋と伊勢丹新宿の眼鏡売場から再建を図った。
高島屋、伊勢丹ほか百貨店や
デパートにコンスタントに出店する。
事業譲渡により、
パリミキホールディングスグループ企業となる。
京橋エドグラン1階に京橋本店が移転。
当社ならではの強みをご紹介します。
01
なによりも社員ファースト02
半医半商以上の03
デパートや百貨店の01
会社を成長させていくために私たちが大切にしてきたことは、いかに社員たちが「働きやすい」と思える環境を作れるかどうか。それを実現できたからこそ、長い歴史を歩むことができたと自負しています。いまでも時代の価値観に合わせて、職場環境や福利厚生のアップデートを繰り返し、新たな挑戦へのサポートも積極的に行っています。多くの社員がより長く、楽しく、安心して働ける職場作りは、これからも変わらず続けていきます。
02
私たちの仕事は、お客様の眼の状態を把握した上で、視界をクリアにしてあげること。眼鏡を販売することもそうですが、必要であれば、眼科医の受診を促すこともあります。眼鏡を販売して終わり、というわけではないのです。お客様のそうしたニーズを満たすためには専門的な知識が必要です。それらは研修において、しっかりと学ぶことができます。「半医半商以上のホスピタリティ」は、今後のキャリアにもしっかりと結びついていくはずです。
03
京橋本店以外の店舗は、伊勢丹や高島屋といった、百貨店やデパートに入店する「インショップ型」を採用しています。そのため、ご来店されるお客様も、それらの施設に付随する顧客様が多いです。なかには政治家や経営者など、普段の生活では出会うことのないお客様も多数ご来店されます。そんな方々をおもてなしすることで、たくさんの気づきがあり、新しい価値観とも出会えるはずです。